ハンガンの文は傷ついている時にしか読めない/最近自然にハマった

 地元が3.11の被災地だったり、ザ・地方で過ごす十代女性だったりした私は、山や林が凝り固まったジェンダー観や地方格差や家父長制を温存する檻に感じられて、去年くらいまで「自然が好き」という気持ちがわからなかった。お金を払ったり交通費をかけたりして遊ぶなら、自然に触れる遊びよりも人工物ばかりに興味を持った。自然はエンターテイメントではなく、恐ろしくてひどい存在だった。

 

 今よりもずっと母との関係が悪かった頃、センター試験のあとだったか前だったか詳しくは覚えていないけれど、県の横幅の1/3くらい離れた高校の近くから、家まで歩いて帰ろうとしたことがある。自分の足でどこかまで辿り着いてみたかった。少しでも家にいる時間を減らしたかった。すぐに田舎道は暗くなり、田んぼの真ん中を通る国道は明かりがなくなった。温暖な地域といえど、夜は結構寒かった。3時間ぐらいは歩いたと思う。母がいなくても生きていけることを、一番に母に証明したかったのに、母に車で迎えに来てもらった。その頃の母は今よりも意地悪で、私はその母よりもさらに意地悪だった。揶揄するようなことを言われ、私も揶揄を返したような記憶がある。母を捕らえていた家父長制という構造を知り、その中でお互いを傷つけてしまったことを謝り合うのは、もっとずっとずっと後のことだ。「普通の娘」として、母の欲望を叶えるために生きることが確実に毒だとはわかっていた。けれどその毒に頼らないと、自分は安全な家屋で寝て、教育を保障されて、ご飯を食べることができないと、身を持って知った。自由になるために色んなものを拒絶するより、ちょっと良い香りのするシャンプーを使いたかったし、学費を払ってくれるならお言葉に甘えたかった。

 物理的な大自然は、自分で歩む一歩一歩に疲労感を与え、自立を私に諦めさせた。今思えば私を縛っていたのは、家の前の田んぼでも竹林の混じる裏山でもなかった。ましてや庭に生えてる花や木でも、通学路に転がってる毛虫の死体やドングリでもなく、家中に貼ってある自民党のポスターだった。あのポスターに自分や誰かの命が乗っかっていたなんて、Twitterを始めるまで知らなかった。

 

 上京したての頃、私は意味もなく散歩しまくっていた。目に入る景色が誰かの日常の情緒に結びついていること、ひとつのマンションにあまりにもたくさんの知らない人生が入っていること、毎日目にするマンションなのに、そこに住んでる人にとんでもない悲劇が起きても自分は何も知らないこと、雑に歩いてたまたま見つけた喫茶店で珈琲を注文すること。そういったことにいちいちテンションがアガッた。特に5分も歩けば20件くらいの店が視界に入るのは快感だった。3時間歩いても民家の気配が遠くにしか感じられない自分の無力感に対して、情報過多は癒しになった。初めて住んだ野方のアパートは壁が薄く、線路脇に建っており、電車の音や駅のアナウンスがずっと聞こえていた。感じたことのない安心感だった。

 私は人工的な遊びを好んだ。カフェが大好きでクラブもちょっと好きで、美術館も映画館も好きで、インスタ映えの奴隷だった。その空間で恋愛っぽい出会いや別れがあるのはとても素敵だと思っていたが、自分がそれをやるやり方は全くわからなかったし、それができない自分が、いつまでも足りない存在に感じられた。

 上京は私の状況を相当マシにしてくれたけど(韻を踏んだ)、それでも「架空の他人の人生をやらないと死ぬ」という感覚は消えなかった。ケーキで例えると、土台がチョコスポンジなのに、チョコレートケーキにしかなれないのに、永久にショートケーキを目指していた。ショートケーキになることを望まれていたし、ショートケーキになれると思い込み、自分でも全力でショートケーキを目指してしまっている。そんな感覚が続いていた。甘いものがあまり得意ではないのに、私ったらなぜケーキで例えたのだろう。インスタ映えは私をちょっとだけチョコレートケーキにしてくれたし、ショートケーキにもしてくれた。

 

 とにかくそれほど自然を怖がっていたのに、4回目のワクチンを接種した日、自分がかなり草木を欲していることに気づいた。梨泰院の群衆事故が起きた数日後だった。

 

 日光に照らされる、その辺の植え込みの草花を見て、私は自分が傷ついていたと気づいた。私が傷つくことが死者の追悼に通じるかはわからないが、そのゆっくりとした熱い感情の起こりは、なんとなく私を生きさせようとした。日の光に照らされた草木はイエベに光っていて美しかったし、日焼け止め越しに皮膚に感じた太陽光の熱さとひりつきは、自分を罰する感情を、少しだけ手放させた。

その後、冒頭だけ読んでずっと読み進めるのを止めていた、ハン・ガンの『回復する人間』の短編を2つ読んだ。ハンガンの作品はなぜか、傷ついている時にしか読めない。

 

「私の死の中に決して彼が入ってこられず、私が決してその命の中へ入っていけなかった時間。」

 

この体言止めのフレーズに、힌、と思った。私は繰り返しこのフレーズを、今までの人生で経験していた。自分より特権がある人に対して「私」は私で、相手は彼だった。私が決して痛みを知ることができない人に対して、私は「彼」だった。このフレーズをもとに離別したり、このフレーズを抱えながら関係を続けたり、を、多分これからも繰り返して行く。

 

 それから私は草木を欲し続けた。水やりが下手なのに、ヴィランっぽい真っ黒なカラーの鉢植えを買った。散歩中にその辺の植え込みの木の葉っぱの匂いを嗅いだ。母の実家のミニトマトの葉かきをした。占いで「今月は自然からパワーを貰ったり、土いじりをするといい」という記述を見て、私は正しい、とドヤ顔になった。バイトの面接の帰りに、新宿御苑の年間パスポートを作った。新宿御苑の、うちの家の床よりきれいな芝生の上で、安達茉莉子さんの『毛布』を読んで、寒くなったら温室に移動した。政治の話をできる友人は多いのに葉っぱの匂いを嗅いだ話をできる友人はとても少なくて、その時葉っぱのことを伝えた相手に感謝の気持ちが湧いた。

 コンクリートもぎゅうぎゅうの大都会も、大自然と同じくらい恐ろしい。それは当然っちゃ当然だったのだけど、自然が自分の生存にも必要だったことに気づいた。どう必要だったかというと、多分、自然は自分の速度を遅くしてくれたのだと思う。情報過多の安心を求める中で、自分のキャパ以上の情報を素早く求める習慣がつき、体が置いてかれていた。

 

 私が抱える自罰とメンタルの乱れについて、ここ半年もっぱらの原因は、自分で描いた漫画のビッチ生活だった。

思えば私は𝑫𝑰𝑽𝑨ヅラがめちゃくちゃ得意だったし、ビッチ生活については救世主ヅラしてる気もする。そして自分の容量以上のものを描いてしまったと思う。

 ビッチ生活は完成させるだけでも結構ギリギリメンタルだったが、作品を通じて他者と繋がる時、自分の容量以上のケアを期待されることが増えた。(それに対してストーリーなどでyamiyamiアピールをしたらそんなにケア相談は来なくなった。)

特に辛いのは性暴力の相談で、専門知識があるわけでもない私は何も答えられず、話を聞くだけで辛くなってしまったし、反射的に相談者に対して怒りを覚えてしまうこともあった。自分の対応がその後相手にどう影響するか、その責任がどれだけのものか想像がつかなかったし、返信をメモに書いて何時間も推敲したりした。辛い時は私ではなく、まずワンストップ支援ダイヤルの#8891へ。

 

 安達茉莉子さんのように、私の作品を読んだ相手が自分の体験を思い起こしてくれること、それを伝えられることを肯定的に受け止められたなら、どれほど良かっただろう。ひとりひとりの生きた体験を抱えるには、私は小さすぎる。私がケアを与えられるのは、ほんの一握りの人にだけだ。

 

 自分の身の丈以上にケアの期待を持たせてしまうことを、今後どうにかしないと、何も描けないと思った。

 

 思ったくせに私は、自分のありったけの優しさを作品に詰めたかった。作品に残すなら私の優しい部分の煮凝りがよかった。自分の冷たい部分なんて、生きてりゃいつでも見なきゃいけないんだから、わざわざ手を疲れさせて描くのがダルかった。

 

 そのバランスは、多分今後も要検討だと思う。身の丈以上のことをしないようにしよう、という自省と、生まれた時から𝑫𝑰𝑽𝑨ヅラみたいな顔をするのは、私が生きるのに両方必要だった。

 

 Twitterで私は、勤勉で情報収集に長けた𝑫𝑰𝑽𝑨達の情報の結晶(?)を、無勉強な状態で目にすることができる。自分で直接消化しなくても、その上澄みをたくさん知ることができる。kpopドラァグレースのファンの自我はあるのに、私は韓国語も英語もほとんどできない。

 私はTwitter𝑫𝑰𝑽𝑨達と決して対等ではない。漫画を描いてから、「私の身には余る」ような出会いが増えたし、会話の中でいつか教養や文化素地のなさのボロが出るんじゃないかとヒヤヒヤしていた。

 エイブリズムをどの程度自分に向けるか。フェミニストやアクティビストはただでさえ自分にエイブリズムを向け、勉強の進度が追いつかないことに罪悪感を覚えたりする。英語や韓国語ができないコンプレックスについて、それにより他者をジャッジするのは最悪だけど、ある程度身につけることによって余裕が生まれたりもする。10月、オンラインの英会話の30日無料のプランを契約し、30日きっかりで休会してみた。こういうの大体手続きを忘れて月額払ってしまうので、ちゃんと休会手続きまでたどり着いたことからは、大きな達成感を得られた。(いうて10回ほどしか参加できなかったけど。)

 中学生くらいで習う、What is your name?を、発音に気をつけて、先生の後に続いてゆっくりと繰り返す。brotherthの発音を指摘されて、先生が自分の口を指差し、私もそこを注視する。What do you do everday?と聞かれて、保湿します、と言うためにwet…skin…moisture…ジェスチャー込みで伝えたら、I keep moisturizing my skin.と提示される。kpopの話題になり、推しグルを説明する時biasという語を用いることを知る。とても遅いこれらの動作が、セルフケアになっていた。実情と全然違うのに、これまで自分がそこに相応しいとなんとなく思い込み続けた、綺麗なチョコレートケーキになるための重要なトッピングをしている気分。

 

 今でも自然は怖い。私には自然が必要だと気づいたけれど、それは人工的に整備された、人を脅かさない程度に安全な自然に限定される。自然に対し余暇のアクティビティとしての意識を持つには至らない。でも、疲れない程度の、リフレッシュとしてめっちゃパッケージ化された、安全な自然派の遊びのお誘いお待ちしています。人間として環境破壊や資源の搾取をしまくってるまま、搾取される側の自然に依存心を持つことに、罪悪感があったりして(前から依存して生きてたのにね〜)

 

 冒頭の写真は母の実家の20年生きてるミッキー。トマトの葉かきの日に撮影した。

もう1匹の15年生きたくろろが、写真を撮ろう撮ろうと思ってるうちに死んでしまったので、慌てて撮った。