2022年8月28日の日記

8/2828歳になりました!また𝒃𝒊𝒕𝒄𝒉な中年に一歩近づきました。当日の所感にについて、文字数が多くインスタに載せられなかったので、こちらに掲載します。もう少し絞って再掲するかもしれません。

 当日、「SorryGrrrlsOnly」というイベントにて『なかよしビッチ生活』の初売り(?)をしました。私はDJイベントへの参加経験が多い方ではないですが、SGOは私が人生で参加したパーティーイベントの中で、最も安全な空間でした。(プロテストレイヴですらトップレスの方への盗撮があったり、知人がナンパされたり、私はデカいリベラルおぢに割り込みされたり、とかありましたし)(近距離でデカい人の背中の圧を受けるのが苦手なので、家父長制くたばってうちわでガスガス背中刺してしまいましたが)こういうの書いてるから文字数が増えるのですよね。本題に入ります。

 

 私は人混みが結構苦手で、聴覚情報の処理が視覚情報に比べて難しいです。なので物理的に深追いが得意ではありませんが、好きな音楽はたくさんあります。DJイベントやパーティーも空間ごと好きで、今後も参加したいと思っています。(理由はめちゃくちゃミーハーで、ミラーボール表象が大好きだからです。)今年WAIFUが性暴力に対するステートメントを出したこと、さくらさんが性暴力の不安のないpartyの開催を目指してくれたことについて、とても勇気づけられました。kaiさんのプレイリストは大切に聴きます

 また「漫画を売る/読んでもらう」場としても、とても安全を感じられました。

 

 今回のイベントへの参加、参加に生じるコミュニケーションにおいて自己反省が生じたり、最近考えていることと通じたできごとがあったため、2点書き留めておきます。

 

1.インターネット上の親密なコミュニケーションについて】

 イベントのTwitterアカウントにはマシュマロの設置があったのですが、意見交換の機能があったことにより、運営に意見を求めるハードルが低くなっていました。「音楽イベントでの性暴力をなくしたい」「会場をセーフスペースにする」ためのイベント企画が、一部では実際の参加やパーティー文化への関心、パーティー化内で起きている性暴力への抵抗(とりわけ女性とみなされる外見の人への被害件数が多い)についての関心を問わず、TRPのようなクィアコミュニティのサポートが中心のイベントと解釈されているように感じました。もちろんイベントの趣旨的に、女性含むマイノリティのコミュニティのサポートに関わるものではありましたし、明確な線引きはなかったのですが

 イベント運営の現場感覚が考慮から外され、いちイベントに期待できるケアの範囲を超えていたと思います。

 

 TwitterSGOのイベント情報を追っていた方はご存知かと思いますが、開催前にSGOへの引用リツイート、マシュマロ等でオンラインハラスメントがありました。

 明らかなハラスメント以外のコミュニケーションについても、距離感が近いのでは…?コミュニケーションの受け手と投げ手の負担が不均衡なのでは…?と感じる場面がありました。

 急に自分の話になりますが、対話という体での議論の要求や、SOGI/性被害体験の開示が一方的にDM等のメッセージ機能で行われるという状況は私自身も体験したことがあり、身につまされる思いがありました。私はDMやコメントしか経験がないですが、匿名で送信が可能なマシュマロだと、さらにメッセージ送信のハードルが下がるかと思います。

 いくら思想的な正当性に基づいた行動だとしても、双方の同意がない状態で一方的な考えの展開を行うコミュニケーションには、暴力性が含まれます。もちろん、同意が不十分なコミュニケーションにおける暴力性を引き受けてでも、自身の安全が脅かされている際の発話を無きものにしないために、声を上げる状況もあるかと存じます。

 ただ今回のイベントに関しては、Twitter上でのオンラインハラスメントがあったこと、さくらさんが上げたステートメントのとおりイベントの開催と性暴力の被害体験が地続きであったことを踏まえると、現実的にとても運営サイドには、閉鎖的なメッセージの応答に耐えうるだけの心理的安全性が確保できていなかったと思います。(というかとれたてはTwitterのマシュマロ機能自体が苦手で、、好きなツイッタラーさんみんな匿名のハラスメントされまくってるんだもん、、、、それでも設置し続けているるのは、素敵な面もあるからだとわかりますが、、、、)

 最近小林エリカさんの『私がフェミニズムを知らなかった頃』(晶文社2021)を読みました。文中にはセックスワーク廃絶論に資してしまうのではないかとハラハラしてしまうような表現や、差別を受ける人がより内面化しやすいミソジニーの発露を感じ、途中でキツくなる瞬間がありました。私は今は明確に、セックスワーカー差別に反対の姿勢を取っています。しかしそれは北欧モデルの失敗や、セックスワークを非合法化した国でセックスワーカーへのヘイトクライムが減った、などの情報にアクセスできたからです。女性との性行為/身体が記号化され、痴漢や未成年搾取、性的虐待が「簡単に望んでいいもの」と欲望の商品として立ち並ぶ日本で女性として生きてたら、それを恥ずかしげもなく省みない性産業に怒りの矛先が向いても無理はない、と思いました。小林エリコさんのように、被害当事者として生きてるならなおさら。またその傷や怒りは形として残されてほしい、共有してほしい、と祈りに似た気持ちがありました。

 怒りや傷についての表現をしている渦中の相手に対し、ジェンダー学の到達点から正当性を求めることは、正しさはあれど、現実的ではないのかもしれません。ジェンダー学において自分に向けて正しさを求めることは学習態度として必要ですが、(差別をなくすためにデータや蓄積された事実、歴史を知ることは重要ですし)その知識が権威として作用しないかどうかは、実際のコミュニケーションにおいて意識すべきだと思います。

 これは傷ついていて怒っている人であれば、差別発言が許される、という趣旨ではありません。また、怒ってる状態の人から受けた差別の傷を、なかったことにしてほしい、ということでもありません。発言者の立場を視野に入れない状態での分析のまなざしが、問題の解決に向かわない、時に暴力になりうるということを言っています。(背景を一枚岩に見ないように気をつけることは、私にとってのインターセクショナリティの実践です。)

 

 イベントに際し、オンラインハラスメントの様子を一部始終確認しながら、私は出展者として早い段階でそこのサポートや表明をしませんでした。状況を改善する立場にいながらそれを実行しなかったことが、とても申し訳ないです。

 

2.参加者層、批判をした人の層について】

 この項目について書く目的は、イベントやイベントに集まった参加者に対し「インターセクショナリティの実現を目指していない」「インターセクショナリティの観点が劣っている」人たちだ、という視線が向けられるのを避けるためです。

 開催後、運営より参加者に向けて、「当日差別を受けなかったか、嫌な思いをしなかったか」などの項目を含むアンケートが出されました。アンケート対象は「参加者」のみとしていますが、差別をなくすためには、出せるヘルプのキャパを把握し、範囲を限定することも必要です。

SGOから「インターセクショナリティの実現を目指す」との公言があるわけではありません。仮にインターセクショナリティの実現を目指すと公言している個人に対しても、サービスやケアの提供を明言していない部分に完全さを追求する権利は、その人から攻撃や被害を受けた人か、お金を払って利益をもたらしている人にしかないと思います

 

 前提として、参加した当事者も参加をやめた当事者も、ノンバイナリーの代表ではありません。

 私は、「参加を迷っている」と伝えてくれたノンバイナリーやクエスチョニングの当事者の方に対し、事前に説明をしませんでした。バタバタしてたとはいえ、せめて直接相談があった方で、いつもとれたてを助けてくれてる方々に関しては、もう少し言葉を尽くせば良かったと思います、、、

 

 今さらですが、私個人の「Grrrls」の表記の感覚を提示しますので、今後参考になれば。。。。めっちゃ感覚なので、言葉にするのもなあという気もするのですが。。。

 エンパワメント要素があり、社会的なマイノリティとしての女性の要素を濃度の差はあれ含む語として、私は「Queen」「𝑫𝑰𝑽𝑨」「ギャル」「𝒃𝒊𝒕𝒄𝒉」などを普段から使用しています。「Grrrls」も同様の立ち位置でした。ただ、どの語感にどの程度ジェンダー要素を感じているかは、私の経験や学習によるところが大きいですし、程度の感覚を他者に当てはめることはできません。「ビッチ」や「ギャル」に関しては自分が語を使用することにより、広く解釈されているニュアンスを変化させたり、強化したりできるという当事者意識があり、、、

 

、、、、

 

 いややっぱこの辺でやめときます。。。ぶっちゃけ語が使われている感覚を掴むのって、ある程度そのカルチャーに浸る時間やコストをかけないとできない面があるというか、、、、できれば1年くらいは𝑫𝑰𝑽𝑨達のTwitterロムってほしいというか、、、、、、まとめサイトだけ見て理解されてRiot Grrrlsの存在も作品も知らない、みたいな状態の方を増やしてしまっても、文化に対して失礼な気が。。。(それこそ選挙ギャルズに抱えていたモヤりと同質の。。)いや私、𝒃𝒊𝒕𝒄𝒉𝒃𝒊𝒕𝒄𝒉言うくせにドラァグレース眼精疲労で途中までしか追えてないし、好きな音楽はジャンルで言うとポップス偏重なところあるので、Riot Grrrlsについてもそんなに作品めちゃくちゃ知ってるわけではって感じで、、、その状態でまとめサイトになる責任が。。。。。

 

 元も子もないですが、「Grrrlsをウチらと感じるか」みたいな主観を一番大切にしてほしいです。他人からの基準ではなく、本当に主観で。。。

 主観に自信がない、どのTwitterをロムればいいのかわからないとかだったら、kaiさんプレイリストを聴く、など、、、、

 

 語が含むジェンダーの要素をどれだけアイデンティティの拠り所にし、傷ついてきたのか、個々人の体験を想像する努力はできても、「あなたの体験をわかる」とは言えないです。現時点でグラデーションの濃いシス女性として生活している私ですら、女性と分類されることで困難を感じる場面もあります。ましてやクエスチョニング、広義でのノンバイナリー自認のある当事者の方々の日常での感覚や、シス女性と見なされた際のストレスの受け方の多様さは、いかほどかと思います。

 マイノリティとして受けざるをえない差別からのエンパワメントだとしても、手段として入場の可否基準に女性属性があること自体が「自分はスペースにいていいのか?」という自問や居心地の悪さ、女性区分をされて傷ついた体験のフラッシュバック、ほか様々なストレスに向く可能性も多分にあると思います。

 ストレスを見越して参加しない選択を早い段階でできたり、なんとなく参加してストレスを受けてしまう事態を避けるために、もう少しできることがあったなあと。。。

 

 カバーできていない要素があれど、クラブ空間でのハラスメント・性被害に抗議の立場を取るイベントの開催に際し、社会的に女性とみなされる人々の痛みを無視しないためのフェミニズムの実践として、女性という要素に重点を置くことは必要だと思います。(開催前の投稿にも書きましたが、All lives matter的なものにしないために。)

 

 私のインスタグラムは、作品の好みに関係なく、「政治思想がマシだから」や「政治的な発信をする20代の人が珍しいから」とフォローしている方もいます。(それが悪いとは言えませんが、作品を作る身としては自分個人よりは作品を評価してほしいので、悔しさは抱えています。個人として魅力的すぎる私も悪いですが。。シンプルに作品自体の魅力は微妙なんだなあと、実力不足を突きつけられている気もします。)現場の安全性の実現から離れ、政治的/クィアスタディーズ的な分析の視点をイベントに用いた方々が多かったのは、自分が参加したことでそういった方々の目に触れ、「クィアイベント感」を押し出してしまった側面もあるように思い、責任を感じました。

 

 正直私自身もパーティーカルチャーを応援してるとはいえ、カルチャーの中心と言える程にシーンを追えているわけではありません。リスペクトがあれど、むしろシーンの理解については遅れている方です。政治的な情報収集やフェミニストロールモデルを目的に私をフォローしてる方は、ますますカルチャー自体の現場感覚や、どの人数の規模のイベントでどの程度の収益があり、現場で差別を起こさないために必要なコストがどれほどなのか、感覚がなかったと思います。

 

 参加に際し葛藤があった方を傍目で見ながらも、SGO程度の安全さのレベルのイベントの開催数が増えた方が、「イベントシーンでの性暴力を減らす」目的に対しては、総合的に資すると考えていました。

 そのために一件一件の完全さを諦めるのは力不足と言わざるを得ないですし、もし実際に私に「諦められた」と感じた方がいたら申し訳ないです。。しかしこれからも、「絶対に諦めない」と明言できる自信がないです。。。

 最近フェミニストのアイコンとして扱われたり、いきなり他人からケアを求められたり、いつのまにか理想像を投影されたりのストレスが、正直限界に来ており。。。(急な愚痴。。。)私がめっちゃイケてるのは知ってましたが、そんなにイケてる人がフェミニストやってるの珍しいですかね。。。。。私への負担を分散させるためにこの世の全員フェミニスト名乗ってくれませんかね。。。。。。てか私人生の大半はホモソに迎合してモテて結婚しようとしてましたからね、憧れないでくださいね(n回目)。。。

 

私は力不足な状態で、マシな実践を積み重ねたい、というのが一番本心に近いです。