マザリングを読んだ感想を書く前に
読み終わってからしばらくして、香港でレズビアンのカップルが刺殺されるフェミサイド、かつ同性愛者へのヘイトクライムが起きた。
記事のトップには、わたしが使っているマッチングアプリでスワイプしたら出てきそうな質感と色味に加工された、カップル写真が使われていた。「うちら」が殺されたのだということをゆっくり自覚した。出回っていた監視カメラの動画について、何人ものフォロワーが「あまりにも辛い映像なのでよほど元気がある人でなければ見ないように…」と促していた。その注意喚起を見た後で、私は見た。「今見なければいけない、怒るために」と思ったわけではなかったし、全く元気はなく、むしろ通っている整体師に過労を指摘されていた。書いてる今もまだ、なんで見たのかわからない。風呂で見て、見終わってから湯船でぼーっとしていたらまだ体や頭を洗ってないのにのぼせてしまって、最低限水分を拭き、そのまま布団に倒れた。30分くらい陰毛をむしった。観終わった昨日から書いてる今まで、U-NEXTでのおジャ魔女どれみの視聴、テルマの視聴、バイト、入管法改悪についての報道と特集を増やすよう各報道機関のお問い合わせフォームにお問い合わせ、メールの返事、日本軍従軍「慰安婦」問題についての中学生向けの書籍を読んでる時間以外すべて、2人の死について頭が巡った。(テルマとおジャ魔女は、その死の映像としての巡りが止められないので、昨日眠るために見始めた。)これがプライドマンスらしい。
恐怖を想像する。そんな早く腕動かしたことねえわという速さで、繰り返し刃物が自分に刺さってくる。近くの階に売られていたという刃物が、自分の胸や首や腹を繰り返し裂き、入って出ていくのは、血が出ていくのを感じるのは、どれほどの痛みで、どれほどの恐怖だっただろう。なぜ他人の体に刃物を刺し、命を奪っていいと思い、実行する生物が、この世に存在してしまっているんだろう。一緒に暮らしてたという、その日の会話はどんなだったのだろう。同じ部屋で、親密な相手と共有した空気、時間、空間はどんなものだったろう。それと地続きだったはずの昼過ぎのショッピングモールで、クソゴミに勝手に命を絶たれる絶望は。死までの時間は。目の前で恋人が理解不能な暴力にあい、ゴミが手を緩む隙を見てはすぐに、動けない恋人を引きずり、しつこく襲ってくるゴミから何度も逃がそうとし、何かを叫び、守ろうとした勇気は。張り詰めた中引きずった恋人の体の重さは。床についた赤い血を見て、恋人の死を理解した瞬間は。そうすることで次に殺意を向けられると、きっとわかっていたはずなのに。形容できないほどの恐怖を感じていたはずなのに。勇気で、何を叫んだんだろう。
多くの女やクィアが、地獄よりも辛いニュースを目にした時、きっと一度は想像する。自分がフェミサイドやクィアへのヘイトクライム、レイプの被害者になった時、一瞬でも加害者に自責の念を持たせようと、どうせ死ぬならなんかダメージを与えなければいけないと、なんかしら放つ言葉を何にするか。「私を殺してもあんたが無価値なのは変わらない」「私を殺してもお前の特徴にはならない」「おっ個性がないやつあるあるのレイプ」。色々想像しても、本番では恐怖で言えない可能性の方が高い。まだたまたま本番が来ていない。
自分は映像を見たくせに、先に憎悪を向けられた「男性の格好をする女性」の属性と勝手にみなされそうな何人かの知人が、映像を観ていないことを祈っている。
私は社会運動に対してホモソになる才能がなかった。
社会問題に関する漫画は、目には目を、歯には歯を、ホモソにはホモソを、みたいなのが多くて、あまり自分も真似できそうなロールモデルがなかった。だから私がホモソにはホモソを、以外の作品を描かないとと思ったし、というかまず自分にはホモソにはホモソををやりきって作品に仕上げる才能は皆無だと思う。
でも2人の死で、ホモソにはホモソを、ができない自分は、何もできなくて、死んだ方がいいと思った。
わたしはフェミニストやクィアのテンションを少しだけ上げることができても、何度も何度も振り下ろされた刃物が刺さる痛みを代わってあげることもできない。そのうちの一刺しでも坊主頭に突き刺すこともできない。(記事をLINE翻訳したら犯人を坊主頭と呼んでいた。)坊主頭を殺すこともできない。坊主頭に加害者教育を施すこともできない。坊主頭をゴミとしか思えず、加害者教育を行う忍耐力はない。もしやらされたら寝込むと思う。1ヶ月前、日本軍従軍「慰安婦」にさせられた女性を強姦したことを証言したおじいさんの映像を観た時や、先週ハマってた『I MAY DESTROY YOU』のヒゲの人がステルシングをして告発された後も人生が続いてマシに生きようとする様を観た時は、加害者形成のプロセスについてじっくり向き合おうと本気で思っていた。「フェミニストを名乗るトランス差別煽動者」の存在も、加害属性に至る人の距離の近さ、思ったより遠くない存在だという自戒に拍車がかかった。
でも今は恐怖でゴミとしか思えない。多分むこう数ヶ月は、そうやって恐怖とミサンドリーで勉強できない。なんで人の命を踏み躙る機能を人間に与え、それを男性に表出しやすくしたんだろう。殺人事件の加害者の8割は男性ということを久しぶりに思い出す。
坊主頭は精神疾患の男と記事に書かれていた。自覚的に鍛えられたような肉体だった坊主頭は、どのような精神疾患だったのだろう。先月ハマってたスラムダンクの登場人物みたいにムキムキだった。スラムダンクの登場人物は画面の中から出てこないし、女性やクィアに憎悪を向けることに興味がないので、安全に観ていた。花道くんがルカワ親衛隊にボコられるシーンが好きだ。坊主頭のようなゴミも含めてふつう人間は、自分より弱いことがわかっている相手にしか暴力を振るえない。やばい3年ぶりに主語でかを気にした、でも事実だと思う。約190cmくらいで、とてつもなく筋肉質な男性の花道くんを、普通女は殴れない。ルカワ親衛隊はすごい。第一話で、約190cmの男が目の前に2人いて片方が血を流している、という状況で、ハルコさんが殴った側だと思われる男に「見損なったわ暴力振るうなんてサイテーよ」的なこと言うシーンもすごすぎる。それか、花道君が女に見える人を絶対に殴り返してこなさそうな何かをかもしているのか。ルカワ親衛隊やハルコさんの強さは、気に入らないなら文句を言えばいい、という作者の恐怖へのリアリティのないミソジニックなファンタジーからなのか。実際ハルコさんやルカワ親衛隊のようなっょ女が周りにいたのか。花道君が安全オーラすごいのか。わからなくなってきたけどどうでもいいか。
YouTubeの入管法改悪に関する報道についたヘイトコメント(報告済)にも同様の暴力が書かれる。まず日本人を優先しろ、助けてあげたいなら彼らに多く税金を納めさせろ(就業を制限しておいて)、犯罪者や不正な滞在者をまず罰しろ。
一部記事では2人を友人だとし、ミソジニーとホモフォビアに起因するヘイトクライムの事実を消す二次加害を行なっている。
あんなにかわいいハルコさんよりものを言えないし、多分全身脱毛済みのルカワ親衛隊よりものを言えない。無力だと思う。多分自分の回復のために、もうすぐ、『マザリング 現代の母なる場所』の感想を書く。でも死んでしまったレズビアンのカップルの2人は、死んでしまったので回復ができない。
お母さん。私のお母さんはクィアのお母さん界ではかなりマシな方。とんでもない毒親だと思ってた時期が過ぎて、私のうつ病を機に、セクシズムへ抗う重要性も理解している。家族の中で唯一自民党に投票しなくなってくれた。
そうなってからも、何度も、会話の流れで、どんなにやめてくれと懇願しても、私に子どもを生んで欲しいと伝えてくる。
自発的に言わなくても、会話の流れで。自分の世話すらままならなくて寝込んでしまう私を眺めながら、出産と育児を期待している。
お母さん。
また私たちが殺されたよ。
この世界に生まれた子が女に見える子だったら、女に見えるというだけで、殺されたりレイプされたりする可能性が高い。
女に見える子が男を愛さなかったら、男を愛さないというだけで、殺される確率がさらに上がる。
男に見える子が生まれたら、いとも簡単に、人の命を奪い尊厳を踏みつける可能性が高くなる。外から何度も何度も繰り返し、異常な視点で女を見るのが普通なんだと教え込まれる。競争と排除と差別に力を使ったら、自分の安全が確保されるという言説へのドアが、あらゆるところにぱかぱか開いている。そのドアから逃げるのはとても大変で、あまりにも量が多くて、どんな人でも全てのドアから逃げることはできない。
電車に乗る時、歩く時、買い物する時に、死の不安を感じずに生きてみたい。
お母さん、そんな世の中に、誰かの人生を生んでしまう責任をもてないよ、私の体力じゃ。私のできないたくさんのことのせいで。そう言えば、もう子どもを生んで欲しいと言わなくなってくれるかしら
マザリングを読んだ感想を書く前に
読み終わってからしばらくして、香港でレズビアンのカップルが刺殺されるフェミサイド、かつ同性愛者へのヘイトクライムが起きた。
記事のトップには、わたしが使っているマッチングアプリでスワイプしたら出てきそうな質感と色味に加工された、カップル写真が使われていた。「うちら」が殺されたのだということをゆっくり自覚した。出回っていた監視カメラの動画について、何人ものフォロワーが「あまりにも辛い映像なのでよほど元気がある人でなければ見ないように…」と促していた。その注意喚起を見た後で、私は見た。「今見なければいけない、怒るために」と思ったわけではなかったし、全く元気はなく、むしろ通っている整体師に過労を指摘されていた。書いてる今もまだ、なんで見たのかわからない。風呂で見て、見終わってから湯船でぼーっとしていたらまだ体や頭を洗ってないのにのぼせてしまって、最低限水分を拭き、そのまま布団に倒れた。30分くらい陰毛をむしった。観終わった昨日から書いてる今まで、U-NEXTでのおジャ魔女どれみの視聴、テルマの視聴、バイト、入管法改悪についての報道と特集を増やすよう各報道機関のお問い合わせフォームにお問い合わせ、メールの返事、日本軍従軍「慰安婦」問題についての中学生向けの書籍を読んでる時間以外すべて、2人の死について頭が巡った。(テルマとおジャ魔女は、その死の映像としての巡りが止められないので、昨日眠るために見始めた。)これがプライドマンスらしい。
恐怖を想像する。そんな早く腕動かしたことねえわという速さで、繰り返し刃物が自分に刺さってくる。近くの階に売られていたという刃物が、自分の胸や首や腹を繰り返し裂き、入って出ていくのは、血が出ていくのを感じるのは、どれほどの痛みで、どれほどの恐怖だっただろう。なぜ他人の体に刃物を刺し、命を奪っていいと思い、実行する生物が、この世に存在してしまっているんだろう。一緒に暮らしてたという、その日の会話はどんなだったのだろう。同じ部屋で、親密な相手と共有した空気、時間、空間はどんなものだったろう。それと地続きだったはずの昼過ぎのショッピングモールで、クソゴミに勝手に命を絶たれる絶望は。死までの時間は。目の前で恋人が理解不能な暴力にあい、ゴミが手を緩む隙を見てはすぐに、動けない恋人を引きずり、しつこく襲ってくるゴミから何度も逃がそうとし、何かを叫び、守ろうとした勇気は。張り詰めた中引きずった恋人の体の重さは。床についた赤い血を見て、恋人の死を理解した瞬間は。そうすることで次に殺意を向けられると、きっとわかっていたはずなのに。形容できないほどの恐怖を感じていたはずなのに。勇気で、何を叫んだんだろう。
多くの女やクィアが、地獄よりも辛いニュースを目にした時、きっと一度は想像する。自分がフェミサイドやクィアへのヘイトクライム、レイプの被害者になった時、一瞬でも加害者に自責の念を持たせようと、どうせ死ぬならなんかダメージを与えなければいけないと、なんかしら放つ言葉を何にするか。「私を殺してもあんたが無価値なのは変わらない」「私を殺してもお前の特徴にはならない」「おっ個性がないやつあるあるのレイプ」。色々想像しても、本番では恐怖で言えない可能性の方が高い。まだたまたま本番が来ていない。
自分は映像を見たくせに、先に憎悪を向けられた「男性の格好をする女性」の属性と勝手にみなされそうな何人かの知人が、映像を観ていないことを祈っている。
私は社会運動に対してホモソになる才能がなかった。
社会問題に関する漫画は、目には目を、歯には歯を、ホモソにはホモソを、みたいなのが多くて、あまり自分も真似できそうなロールモデルがなかった。だから私がホモソにはホモソを、以外の作品を描かないとと思ったし、というかまず自分にはホモソにはホモソををやりきって作品に仕上げる才能は皆無だと思う。
でも2人の死で、ホモソにはホモソを、ができない自分は、何もできなくて、死んだ方がいいと思った。
わたしはフェミニストやクィアのテンションを少しだけ上げることができても、何度も何度も振り下ろされた刃物が刺さる痛みを代わってあげることもできない。そのうちの一刺しでも坊主頭に突き刺すこともできない。(記事をLINE翻訳したら犯人を坊主頭と呼んでいた。)坊主頭を殺すこともできない。坊主頭に加害者教育を施すこともできない。坊主頭をゴミとしか思えず、加害者教育を行う忍耐力はない。もしやらされたら寝込むと思う。1ヶ月前、日本軍従軍「慰安婦」にさせられた女性を強姦したことを証言したおじいさんの映像を観た時や、先週ハマってた『I MAY DESTROY YOU』のヒゲの人がステルシングをして告発された後も人生が続いてマシに生きようとする様を観た時は、加害者形成のプロセスについてじっくり向き合おうと本気で思っていた。「フェミニストを名乗るトランス差別煽動者」の存在も、加害属性に至る人の距離の近さ、思ったより遠くない存在だという自戒に拍車がかかった。
でも今は恐怖でゴミとしか思えない。多分むこう数ヶ月は、そうやって恐怖とミサンドリーで勉強できない。なんで人の命を踏み躙る機能を人間に与え、それを男性に表出しやすくしたんだろう。殺人事件の加害者の8割は男性ということを久しぶりに思い出す。
坊主頭は精神疾患の男と記事に書かれていた。自覚的に鍛えられたような肉体だった坊主頭は、どのような精神疾患だったのだろう。先月ハマってたスラムダンクの登場人物みたいにムキムキだった。スラムダンクの登場人物は画面の中から出てこないし、女性やクィアに憎悪を向けることに興味がないので、安全に観ていた。花道くんがルカワ親衛隊にボコられるシーンが好きだ。坊主頭のようなゴミも含めてふつう人間は、自分より弱いことがわかっている相手にしか暴力を振るえない。やばい3年ぶりに主語でかを気にした、でも事実だと思う。約190cmくらいで、とてつもなく筋肉質な男性の花道くんを、普通女は殴れない。ルカワ親衛隊はすごい。第一話で、約190cmの男が目の前に2人いて片方が血を流している、という状況で、ハルコさんが殴った側だと思われる男に「見損なったわ暴力振るうなんてサイテーよ」的なこと言うシーンもすごすぎる。それか、花道君が女に見える人を絶対に殴り返してこなさそうな何かをかもしているのか。ルカワ親衛隊やハルコさんの強さは、気に入らないなら文句を言えばいい、という作者の恐怖へのリアリティのないミソジニックなファンタジーからなのか。実際ハルコさんやルカワ親衛隊のようなっょ女が周りにいたのか。花道君が安全オーラすごいのか。わからなくなってきたけどどうでもいいか。
YouTubeの入管法改悪に関する報道についたヘイトコメント(報告済)にも同様の暴力が書かれる。まず日本人を優先しろ、助けてあげたいなら彼らに多く税金を納めさせろ(就業を制限しておいて)、犯罪者や不正な滞在者をまず罰しろ。
一部記事では2人を友人だとし、ミソジニーとホモフォビアに起因するヘイトクライムの事実を消す二次加害を行なっている。
あんなにかわいいハルコさんよりものを言えないし、多分全身脱毛済みのルカワ親衛隊よりものを言えない。無力だと思う。多分自分の回復のために、もうすぐ、『マザリング 現代の母なる場所』の感想を書く。でも死んでしまったレズビアンのカップルの2人は、死んでしまったので回復ができない。
お母さん。私のお母さんはクィアのお母さん界ではかなりマシな方。とんでもない毒親だと思ってた時期が過ぎて、私のうつ病を機に、セクシズムへ抗う重要性も理解している。家族の中で唯一自民党に投票しなくなってくれた。
そうなってからも、何度も、会話の流れで、どんなにやめてくれと懇願しても、私に子どもを生んで欲しいと伝えてくる。
自発的に言わなくても、会話の流れで。自分の世話すらままならなくて寝込んでしまう私を眺めながら、出産と育児を期待している。
お母さん。
また私たちが殺されたよ。
この世界に生まれた子が女に見える子だったら、女に見えるというだけで、殺されたりレイプされたりする可能性が高い。
女に見える子が男を愛さなかったら、男を愛さないというだけで、殺される確率がさらに上がる。
男に見える子が生まれたら、いとも簡単に、人の命を奪い尊厳を踏みつける可能性が高くなる。外から何度も何度も繰り返し、異常な視点で女を見るのが普通なんだと教え込まれる。競争と排除と差別に力を使ったら、自分の安全が確保されるという言説へのドアが、あらゆるところにぱかぱか開いている。そのドアから逃げるのはとても大変で、あまりにも量が多くて、どんな人でも全てのドアから逃げることはできない。
電車に乗る時、歩く時、買い物する時に、死の不安を感じずに生きてみたい。
お母さん、そんな世の中に、誰かの人生を生んでしまう責任をもてないよ、私の体力じゃ。私のできないたくさんのことのせいで。そう言えば、もう子どもを生んで欲しいと言わなくなってくれるかしら
ベッキョンさんのチュ♡かわいくてごめんを見た後に渡邊博史被告の意見陳述を読んだ
ベッキョンさんのチュ♡かわいくてごめんを見た後に渡邊博史被告の意見陳述を読んだ
ベッキョンさんのチュ♡かわいくてごめん
https://twitter.com/save_bh_/status/1622564497645871105?s=46&t=ArGqBH7GSgcnR8A6CDcMiA
渡邊博史被告の意見陳述(6万字ある)
https://note.com/aahranai/n/n96733e4e118f
4割くらい自分の人生のあらゆる光景を思い出し、自分の今や昔の状況の説明に当てはまるところとかもあり、セラピーみたいな感覚で読んだ
読んでいて4割くらいの時間、私は別に自分の状況がマシになったり安全になったり救われたりするわけじゃないからたまたま「ネトウヨ」にならなかったんだな、と勉強になった
逆に「ネトウヨ」の父と祖父母は(祖父母ネットできんけど)もうずっと安心で自民党好きで排外していればあの人達の人生やり過ごせるし(というかそれ以外のアイデンティティの取り方があるという発想に至れないんだと思う)
それで踏みつける人の痛みなんてマジで遠くの他人事だから自民党天皇制万歳でいつづけるんだなと、解像度が上がった
で、私がどんなに良い子でいても、私は父と祖父母に自民党より気持ち良いものをあげられないんだなと思った
一生結婚も出産もしないから、すでに私は彼らにとって永遠に良い子ではないのかもしれないが
渡邊さんは一度救いの選択肢としてネトウヨを検討したことがあるから、しっかり他人の解像度を上げられる書き方できるんだろうな、、、
とれたても認識できてる限り、救いの選択肢としてスピ系にハマろうと思ったことあるけど、スピ系にハマった人達より私が頭が良いとか冷静な判断ができるとかではなく、大体はその場で救いにならなかったし、なんか量多くて追いきれなかった
ホロスコープや四柱推命は理論を学ぶのが難しくてできなかった、勉強時間の確保含め
あととれたておしゃれだから、悪徳系のスピ系全然宣伝のデザインに気を使ってなくて、ダサくてイライラしてしっかり見れなかったというのもある、、、
4割くらい、著者の年齢があと10歳ほど若くて、目に入るインターネットの光景の順番がEXOコンテンツが先だったら、ガチでワンオブそのへんのクィアオタクギャルとかだったのかもしれないじゃないか、かなり高い可能性でと想像した(しかも多分植民地主義に自省的なオタク…)
想像して申し訳なくなった
4割くらい、私の属性がもしシスヘテロ男性だったら、もっとずっとひどいことしてたかもしれなくて、ヒヤッとしながら読んだ
この文章内で犯罪に向かうとされる、青春がなく余ったエネルギーの使いどころを、私はシスヘテロ女性属性を利用した自傷に使ったので(ハラスメントや性暴力にあいやすい環境に身を置いたり、ホモソ強者の男性に依存したり、というやつ)
自傷でマシだったよ
あのエネルギーで他人をもっと傷つけていたらと思うと本気で怖いもん
私も家族を喜ばせるため以外にハマったものはkpopが始めてだったし、自分がアイドルにハマった時「若いうちの大きなエネルギーを、こんな風に人を幸せにするために使えたんだ、人間について知らなかった」と思った
アイドルはほとんど私より年下だけど、私より何年もちゃんと自分の人生を生きていて、色んな人にロールモデルのような気持ちを抱いている
逆にこの方の文章、ミソジニーやほかマイノリティへの嫌悪が全くないんだけど(本人が女性嫌悪してないのもそうだけどミソジニーの存在自体をそんなに想定されてない)(障害者嫌悪や外国人嫌悪については明に批判している)女性や外国人っぽい見た目だったり、弁が立つ方じゃなかったら、警察からの処遇も世間からかけられる言葉の内容も生きていて関わらねばならない犯罪のイメージも変わっていただろうし(女やクィアや障害者や外国人だったらこの文章で言う『欲望型』の犯罪の被害をクソ被ってその対処に追われるわけだし)
加害行動の原因について、同様の症状を抱える人達の手助けになることに思いを馳せられるくらいには安全に内省できて、とにかく良かった、、
女性だったらフェミニストのコミュニティとかに入れてたかもしれないけど
とれたてがシスヘテロ男性だったらの加害性、秋葉原無差別殺傷事件の犯人の思想に触れ「友人以下をたくさん作る」というとこにもドキッとした(ていうかこの事件の犯人、その辺の性犯罪者より自分の加害性が育ち実行に至った原因について内省してたんだな、、)
私クヮロマンティックだから、実質親密な関係性の人が0〜1人しかいなくても、ポリ関係になる可能性のある宣言をしなきゃいけないんだけど
私は複数の人に恋愛感情を持てるわけでは全くないし、ポリアモリーにイメージされる恋愛や性愛の活力がある雰囲気とは全く離れていて
なんというか、モノガミーの関係を築いたら、よくあるDV加害者夫みたいな立ち位置に自分がなるだろう、という思い込みがある
からクワ傾向なのは、自分の加害性を薄めるためだと思う
***健康なアナル***
今どういう状況なのか全くわからないしまだEXOペンなのかもわからないけど、ベッキョンさんのチュ♡可愛くてごめんを見たとしたら、まだポジティブな感情を抱いてくれるかしら、、
チュ♡かわいくてごめん、
10〜20代の女の子(っぽい見た目の子)がやってるのみると、彼女らにかけられる視線のゴミさに泣きたくなる
「かわいい」「あざとい」は自分たちをナメてくる環境での生存手段ですらあるのに、それすら謝らなくてはいけないのが地獄だし、生まれてきちゃってごめんなんて言ってほしくないし、「かわいい」「あざとい」にかける切実さや哲学の存在なんて外から見たら一見わからず、ミソジニストに攻撃できる余地を残してあげている感がきつい
それすらエンパワメントとして成立してしまうの。。
だから除隊後で、ちょっとムキムキな、なんでも持ってて可愛くて優しい20代後半のベッキョンさんが、やってるくらいがちょうどよく見れる
ハンガンの文は傷ついている時にしか読めない/最近自然にハマった
地元が3.11の被災地だったり、ザ・地方で過ごす十代女性だったりした私は、山や林が凝り固まったジェンダー観や地方格差や家父長制を温存する檻に感じられて、去年くらいまで「自然が好き」という気持ちがわからなかった。お金を払ったり交通費をかけたりして遊ぶなら、自然に触れる遊びよりも人工物ばかりに興味を持った。自然はエンターテイメントではなく、恐ろしくてひどい存在だった。
今よりもずっと母との関係が悪かった頃、センター試験のあとだったか前だったか詳しくは覚えていないけれど、県の横幅の1/3くらい離れた高校の近くから、家まで歩いて帰ろうとしたことがある。自分の足でどこかまで辿り着いてみたかった。少しでも家にいる時間を減らしたかった。すぐに田舎道は暗くなり、田んぼの真ん中を通る国道は明かりがなくなった。温暖な地域といえど、夜は結構寒かった。3時間ぐらいは歩いたと思う。母がいなくても生きていけることを、一番に母に証明したかったのに、母に車で迎えに来てもらった。その頃の母は今よりも意地悪で、私はその母よりもさらに意地悪だった。揶揄するようなことを言われ、私も揶揄を返したような記憶がある。母を捕らえていた家父長制という構造を知り、その中でお互いを傷つけてしまったことを謝り合うのは、もっとずっとずっと後のことだ。「普通の娘」として、母の欲望を叶えるために生きることが確実に毒だとはわかっていた。けれどその毒に頼らないと、自分は安全な家屋で寝て、教育を保障されて、ご飯を食べることができないと、身を持って知った。自由になるために色んなものを拒絶するより、ちょっと良い香りのするシャンプーを使いたかったし、学費を払ってくれるならお言葉に甘えたかった。
物理的な大自然は、自分で歩む一歩一歩に疲労感を与え、自立を私に諦めさせた。今思えば私を縛っていたのは、家の前の田んぼでも竹林の混じる裏山でもなかった。ましてや庭に生えてる花や木でも、通学路に転がってる毛虫の死体やドングリでもなく、家中に貼ってある自民党のポスターだった。あのポスターに自分や誰かの命が乗っかっていたなんて、Twitterを始めるまで知らなかった。
上京したての頃、私は意味もなく散歩しまくっていた。目に入る景色が誰かの日常の情緒に結びついていること、ひとつのマンションにあまりにもたくさんの知らない人生が入っていること、毎日目にするマンションなのに、そこに住んでる人にとんでもない悲劇が起きても自分は何も知らないこと、雑に歩いてたまたま見つけた喫茶店で珈琲を注文すること。そういったことにいちいちテンションがアガッた。特に5分も歩けば20件くらいの店が視界に入るのは快感だった。3時間歩いても民家の気配が遠くにしか感じられない自分の無力感に対して、情報過多は癒しになった。初めて住んだ野方のアパートは壁が薄く、線路脇に建っており、電車の音や駅のアナウンスがずっと聞こえていた。感じたことのない安心感だった。
私は人工的な遊びを好んだ。カフェが大好きでクラブもちょっと好きで、美術館も映画館も好きで、インスタ映えの奴隷だった。その空間で恋愛っぽい出会いや別れがあるのはとても素敵だと思っていたが、自分がそれをやるやり方は全くわからなかったし、それができない自分が、いつまでも足りない存在に感じられた。
上京は私の状況を相当マシにしてくれたけど(韻を踏んだ)、それでも「架空の他人の人生をやらないと死ぬ」という感覚は消えなかった。ケーキで例えると、土台がチョコスポンジなのに、チョコレートケーキにしかなれないのに、永久にショートケーキを目指していた。ショートケーキになることを望まれていたし、ショートケーキになれると思い込み、自分でも全力でショートケーキを目指してしまっている。そんな感覚が続いていた。甘いものがあまり得意ではないのに、私ったらなぜケーキで例えたのだろう。インスタ映えは私をちょっとだけチョコレートケーキにしてくれたし、ショートケーキにもしてくれた。
とにかくそれほど自然を怖がっていたのに、4回目のワクチンを接種した日、自分がかなり草木を欲していることに気づいた。梨泰院の群衆事故が起きた数日後だった。
日光に照らされる、その辺の植え込みの草花を見て、私は自分が傷ついていたと気づいた。私が傷つくことが死者の追悼に通じるかはわからないが、そのゆっくりとした熱い感情の起こりは、なんとなく私を生きさせようとした。日の光に照らされた草木はイエベに光っていて美しかったし、日焼け止め越しに皮膚に感じた太陽光の熱さとひりつきは、自分を罰する感情を、少しだけ手放させた。
その後、冒頭だけ読んでずっと読み進めるのを止めていた、ハン・ガンの『回復する人間』の短編を2つ読んだ。ハンガンの作品はなぜか、傷ついている時にしか読めない。
「私の死の中に決して彼が入ってこられず、私が決してその命の中へ入っていけなかった時間。」
この体言止めのフレーズに、힌、と思った。私は繰り返しこのフレーズを、今までの人生で経験していた。自分より特権がある人に対して「私」は私で、相手は彼だった。私が決して痛みを知ることができない人に対して、私は「彼」だった。このフレーズをもとに離別したり、このフレーズを抱えながら関係を続けたり、を、多分これからも繰り返して行く。
それから私は草木を欲し続けた。水やりが下手なのに、ヴィランっぽい真っ黒なカラーの鉢植えを買った。散歩中にその辺の植え込みの木の葉っぱの匂いを嗅いだ。母の実家のミニトマトの葉かきをした。占いで「今月は自然からパワーを貰ったり、土いじりをするといい」という記述を見て、私は正しい、とドヤ顔になった。バイトの面接の帰りに、新宿御苑の年間パスポートを作った。新宿御苑の、うちの家の床よりきれいな芝生の上で、安達茉莉子さんの『毛布』を読んで、寒くなったら温室に移動した。政治の話をできる友人は多いのに葉っぱの匂いを嗅いだ話をできる友人はとても少なくて、その時葉っぱのことを伝えた相手に感謝の気持ちが湧いた。
コンクリートもぎゅうぎゅうの大都会も、大自然と同じくらい恐ろしい。それは当然っちゃ当然だったのだけど、自然が自分の生存にも必要だったことに気づいた。どう必要だったかというと、多分、自然は自分の速度を遅くしてくれたのだと思う。情報過多の安心を求める中で、自分のキャパ以上の情報を素早く求める習慣がつき、体が置いてかれていた。
私が抱える自罰とメンタルの乱れについて、ここ半年もっぱらの原因は、自分で描いた漫画のビッチ生活だった。
思えば私は𝑫𝑰𝑽𝑨ヅラがめちゃくちゃ得意だったし、ビッチ生活については救世主ヅラしてる気もする。そして自分の容量以上のものを描いてしまったと思う。
ビッチ生活は完成させるだけでも結構ギリギリメンタルだったが、作品を通じて他者と繋がる時、自分の容量以上のケアを期待されることが増えた。(それに対してストーリーなどでyamiyamiアピールをしたらそんなにケア相談は来なくなった。)
特に辛いのは性暴力の相談で、専門知識があるわけでもない私は何も答えられず、話を聞くだけで辛くなってしまったし、反射的に相談者に対して怒りを覚えてしまうこともあった。自分の対応がその後相手にどう影響するか、その責任がどれだけのものか想像がつかなかったし、返信をメモに書いて何時間も推敲したりした。辛い時は私ではなく、まずワンストップ支援ダイヤルの#8891へ。
安達茉莉子さんのように、私の作品を読んだ相手が自分の体験を思い起こしてくれること、それを伝えられることを肯定的に受け止められたなら、どれほど良かっただろう。ひとりひとりの生きた体験を抱えるには、私は小さすぎる。私がケアを与えられるのは、ほんの一握りの人にだけだ。
自分の身の丈以上にケアの期待を持たせてしまうことを、今後どうにかしないと、何も描けないと思った。
思ったくせに私は、自分のありったけの優しさを作品に詰めたかった。作品に残すなら私の優しい部分の煮凝りがよかった。自分の冷たい部分なんて、生きてりゃいつでも見なきゃいけないんだから、わざわざ手を疲れさせて描くのがダルかった。
そのバランスは、多分今後も要検討だと思う。身の丈以上のことをしないようにしよう、という自省と、生まれた時から𝑫𝑰𝑽𝑨ヅラみたいな顔をするのは、私が生きるのに両方必要だった。
Twitterで私は、勤勉で情報収集に長けた𝑫𝑰𝑽𝑨達の情報の結晶(?)を、無勉強な状態で目にすることができる。自分で直接消化しなくても、その上澄みをたくさん知ることができる。kpopやドラァグレースのファンの自我はあるのに、私は韓国語も英語もほとんどできない。
私はTwitterの𝑫𝑰𝑽𝑨達と決して対等ではない。漫画を描いてから、「私の身には余る」ような出会いが増えたし、会話の中でいつか教養や文化素地のなさのボロが出るんじゃないかとヒヤヒヤしていた。
エイブリズムをどの程度自分に向けるか。フェミニストやアクティビストはただでさえ自分にエイブリズムを向け、勉強の進度が追いつかないことに罪悪感を覚えたりする。英語や韓国語ができないコンプレックスについて、それにより他者をジャッジするのは最悪だけど、ある程度身につけることによって余裕が生まれたりもする。10月、オンラインの英会話の30日無料のプランを契約し、30日きっかりで休会してみた。こういうの大体手続きを忘れて月額払ってしまうので、ちゃんと休会手続きまでたどり着いたことからは、大きな達成感を得られた。(いうて10回ほどしか参加できなかったけど。)
中学生くらいで習う、What is your name?を、発音に気をつけて、先生の後に続いてゆっくりと繰り返す。brotherのthの発音を指摘されて、先生が自分の口を指差し、私もそこを注視する。What do you do everday?と聞かれて、保湿します、と言うためにwet…skin…moisture…とジェスチャー込みで伝えたら、I keep moisturizing my skin.と提示される。kpopの話題になり、推しグルを説明する時biasという語を用いることを知る。とても遅いこれらの動作が、セルフケアになっていた。実情と全然違うのに、これまで自分がそこに相応しいとなんとなく思い込み続けた、綺麗なチョコレートケーキになるための重要なトッピングをしている気分。
今でも自然は怖い。私には自然が必要だと気づいたけれど、それは人工的に整備された、人を脅かさない程度に安全な自然に限定される。自然に対し余暇のアクティビティとしての意識を持つには至らない。でも、疲れない程度の、リフレッシュとしてめっちゃパッケージ化された、安全な自然派の遊びのお誘いお待ちしています。人間として環境破壊や資源の搾取をしまくってるまま、搾取される側の自然に依存心を持つことに、罪悪感があったりして(前から依存して生きてたのにね〜)
冒頭の写真は母の実家の20年生きてるミッキー。トマトの葉かきの日に撮影した。
もう1匹の15年生きたくろろが、写真を撮ろう撮ろうと思ってるうちに死んでしまったので、慌てて撮った。
2022年8月28日の日記
8/28に28歳になりました!また𝒃𝒊𝒕𝒄𝒉な中年に一歩近づきました。当日の所感にについて、文字数が多くインスタに載せられなかったので、こちらに掲載します。もう少し絞って再掲するかもしれません。
当日、「SorryGrrrlsOnly」というイベントにて『なかよしビッチ生活』の初売り(?)をしました。私はDJイベントへの参加経験が多い方ではないですが、SGOは私が人生で参加したパーティーイベントの中で、最も安全な空間でした。(プロテストレイヴですらトップレスの方への盗撮があったり、知人がナンパされたり、私はデカいリベラルおぢに割り込みされたり、とかありましたし…)(近距離でデカい人の背中の圧を受けるのが苦手なので、家父長制くたばってうちわでガスガス背中刺してしまいましたが…)こういうの書いてるから文字数が増えるのですよね。本題に入ります。
私は人混みが結構苦手で、聴覚情報の処理が視覚情報に比べて難しいです。なので物理的に深追いが得意ではありませんが、好きな音楽はたくさんあります。DJイベントやパーティーも空間ごと好きで、今後も参加したいと思っています。(理由はめちゃくちゃミーハーで、ミラーボール表象が大好きだからです。)今年WAIFUが性暴力に対するステートメントを出したこと、さくらさんが性暴力の不安のないpartyの開催を目指してくれたことについて、とても勇気づけられました。kaiさんのプレイリストは大切に聴きます…!
また「漫画を売る/読んでもらう」場としても、とても安全を感じられました。
今回のイベントへの参加、参加に生じるコミュニケーションにおいて自己反省が生じたり、最近考えていることと通じたできごとがあったため、2点書き留めておきます。
【1.インターネット上の親密なコミュニケーションについて】
イベントのTwitterアカウントにはマシュマロの設置があったのですが、意見交換の機能があったことにより、運営に意見を求めるハードルが低くなっていました。「音楽イベントでの性暴力をなくしたい」「会場をセーフスペースにする」ためのイベント企画が、一部では実際の参加やパーティー文化への関心、パーティー文化内で起きている性暴力への抵抗(とりわけ女性とみなされる外見の人への被害件数が多い)についての関心を問わず、TRPのようなクィアコミュニティのサポートが中心のイベントと解釈されているように感じました。もちろんイベントの趣旨的に、女性含むマイノリティのコミュニティのサポートに関わるものではありましたし、明確な線引きはなかったのですが…
イベント運営の現場感覚が考慮から外され、いちイベントに期待できるケアの範囲を超えていたと思います。
TwitterでSGOのイベント情報を追っていた方はご存知かと思いますが、開催前にSGOへの引用リツイート、マシュマロ等でオンラインハラスメントがありました。
明らかなハラスメント以外のコミュニケーションについても、距離感が近いのでは…?コミュニケーションの受け手と投げ手の負担が不均衡なのでは…?と感じる場面がありました。
急に自分の話になりますが、対話という体での議論の要求や、SOGI/性被害体験の開示が一方的にDM等のメッセージ機能で行われるという状況は私自身も体験したことがあり、身につまされる思いがありました。私はDMやコメントしか経験がないですが、匿名で送信が可能なマシュマロだと、さらにメッセージ送信のハードルが下がるかと思います。
いくら思想的な正当性に基づいた行動だとしても、双方の同意がない状態で一方的な考えの展開を行うコミュニケーションには、暴力性が含まれます。もちろん、同意が不十分なコミュニケーションにおける暴力性を引き受けてでも、自身の安全が脅かされている際の発話を無きものにしないために、声を上げる状況もあるかと存じます。
ただ今回のイベントに関しては、Twitter上でのオンラインハラスメントがあったこと、さくらさんが上げたステートメントのとおりイベントの開催と性暴力の被害体験が地続きであったことを踏まえると、現実的にとても運営サイドには、閉鎖的なメッセージの応答に耐えうるだけの心理的安全性が確保できていなかったと思います。(というかとれたてはTwitterのマシュマロ機能自体が苦手で、、好きなツイッタラーさんみんな匿名のハラスメントされまくってるんだもん、、、、それでも設置し続けているるのは、素敵な面もあるからだとわかりますが、、、、)
最近小林エリカさんの『私がフェミニズムを知らなかった頃』(晶文社、2021)を読みました。文中にはセックスワーク廃絶論に資してしまうのではないかとハラハラしてしまうような表現や、差別を受ける人がより内面化しやすいミソジニーの発露を感じ、途中でキツくなる瞬間がありました。私は今は明確に、セックスワーカー差別に反対の姿勢を取っています。しかしそれは北欧モデルの失敗や、セックスワークを非合法化した国でセックスワーカーへのヘイトクライムが減った、などの情報にアクセスできたからです。女性との性行為/身体が記号化され、痴漢や未成年搾取、性的虐待が「簡単に望んでいいもの」と欲望の商品として立ち並ぶ日本で女性として生きてたら、それを恥ずかしげもなく省みない性産業に怒りの矛先が向いても無理はない、と思いました。小林エリコさんのように、被害当事者として生きてるならなおさら。またその傷や怒りは形として残されてほしい、共有してほしい、と祈りに似た気持ちがありました。
怒りや傷についての表現をしている渦中の相手に対し、ジェンダー学の到達点から正当性を求めることは、正しさはあれど、現実的ではないのかもしれません。ジェンダー学において自分に向けて正しさを求めることは学習態度として必要ですが、(差別をなくすためにデータや蓄積された事実、歴史を知ることは重要ですし)その知識が権威として作用しないかどうかは、実際のコミュニケーションにおいて意識すべきだと思います。
これは傷ついていて怒っている人であれば、差別発言が許される、という趣旨ではありません。また、怒ってる状態の人から受けた差別の傷を、なかったことにしてほしい、ということでもありません。発言者の立場を視野に入れない状態での分析のまなざしが、問題の解決に向かわない、時に暴力になりうるということを言っています。(背景を一枚岩に見ないように気をつけることは、私にとってのインターセクショナリティの実践です。)
イベントに際し、オンラインハラスメントの様子を一部始終確認しながら、私は出展者として早い段階でそこのサポートや表明をしませんでした。状況を改善する立場にいながらそれを実行しなかったことが、とても申し訳ないです。
【2.参加者層、批判をした人の層について】
この項目について書く目的は、イベントやイベントに集まった参加者に対し「インターセクショナリティの実現を目指していない」「インターセクショナリティの観点が劣っている」人たちだ、という視線が向けられるのを避けるためです。
開催後、運営より参加者に向けて、「当日差別を受けなかったか、嫌な思いをしなかったか」などの項目を含むアンケートが出されました。アンケート対象は「参加者」のみとしていますが、差別をなくすためには、出せるヘルプのキャパを把握し、範囲を限定することも必要です。
※SGOから「インターセクショナリティの実現を目指す」との公言があるわけではありません。仮にインターセクショナリティの実現を目指すと公言している個人に対しても、サービスやケアの提供を明言していない部分に完全さを追求する権利は、その人から攻撃や被害を受けた人か、お金を払って利益をもたらしている人にしかないと思います…
前提として、参加した当事者も参加をやめた当事者も、ノンバイナリーの代表ではありません。
私は、「参加を迷っている」と伝えてくれたノンバイナリーやクエスチョニングの当事者の方に対し、事前に説明をしませんでした。バタバタしてたとはいえ、せめて直接相談があった方で、いつもとれたてを助けてくれてる方々に関しては、もう少し言葉を尽くせば良かったと思います、、、
今さらですが、私個人の「Grrrls」の表記の感覚を提示しますので、今後参考になれば。。。。めっちゃ感覚なので、言葉にするのもなあという気もするのですが。。。
エンパワメント要素があり、社会的なマイノリティとしての女性の要素を濃度の差はあれ含む語として、私は「Queen」「𝑫𝑰𝑽𝑨」「ギャル」「𝒃𝒊𝒕𝒄𝒉」などを普段から使用しています。「Grrrls」も同様の立ち位置でした。ただ、どの語感にどの程度ジェンダー要素を感じているかは、私の経験や学習によるところが大きいですし、程度の感覚を他者に当てはめることはできません。「ビッチ」や「ギャル」に関しては自分が語を使用することにより、広く解釈されているニュアンスを変化させたり、強化したりできるという当事者意識があり、、、
、、、、
いややっぱこの辺でやめときます。。。ぶっちゃけ語が使われている感覚を掴むのって、ある程度そのカルチャーに浸る時間やコストをかけないとできない面があるというか、、、、できれば1年くらいは𝑫𝑰𝑽𝑨達のTwitterロムってほしいというか、、、、、、まとめサイトだけ見て理解されてRiot Grrrlsの存在も作品も知らない、みたいな状態の方を増やしてしまっても、文化に対して失礼な気が。。。(それこそ選挙ギャルズに抱えていたモヤりと同質の。。)いや私、𝒃𝒊𝒕𝒄𝒉𝒃𝒊𝒕𝒄𝒉言うくせにドラァグレース眼精疲労で途中までしか追えてないし、好きな音楽はジャンルで言うとポップス偏重なところあるので、Riot Grrrlsについてもそんなに作品めちゃくちゃ知ってるわけではって感じで、、、その状態でまとめサイトになる責任が。。。。。
元も子もないですが、「Grrrlsをウチらと感じるか」みたいな主観を一番大切にしてほしいです。他人からの基準ではなく、本当に主観で。。。
主観に自信がない、どのTwitterをロムればいいのかわからないとかだったら、kaiさんプレイリストを聴く、など、、、、
語が含むジェンダーの要素をどれだけアイデンティティの拠り所にし、傷ついてきたのか、個々人の体験を想像する努力はできても、「あなたの体験をわかる」とは言えないです。現時点でグラデーションの濃いシス女性として生活している私ですら、女性と分類されることで困難を感じる場面もあります。ましてやクエスチョニング、広義でのノンバイナリー自認のある当事者の方々の日常での感覚や、シス女性と見なされた際のストレスの受け方の多様さは、いかほどかと思います。
マイノリティとして受けざるをえない差別からのエンパワメントだとしても、手段として入場の可否基準に女性属性があること自体が「自分はスペースにいていいのか?」という自問や居心地の悪さ、女性区分をされて傷ついた体験のフラッシュバック、ほか様々なストレスに向く可能性も多分にあると思います。
ストレスを見越して参加しない選択を早い段階でできたり、なんとなく参加してストレスを受けてしまう事態を避けるために、もう少しできることがあったなあと。。。
カバーできていない要素があれど、クラブ空間でのハラスメント・性被害に抗議の立場を取るイベントの開催に際し、社会的に女性とみなされる人々の痛みを無視しないためのフェミニズムの実践として、女性という要素に重点を置くことは必要だと思います。(開催前の投稿にも書きましたが、All lives matter的なものにしないために。)
私のインスタグラムは、作品の好みに関係なく、「政治思想がマシだから」や「政治的な発信をする20代の人が珍しいから」とフォローしている方もいます。(それが悪いとは言えませんが、作品を作る身としては自分個人よりは作品を評価してほしいので、悔しさは抱えています。個人として魅力的すぎる私も悪いですが。。シンプルに作品自体の魅力は微妙なんだなあと、実力不足を突きつけられている気もします。)現場の安全性の実現から離れ、政治的/クィアスタディーズ的な分析の視点をイベントに用いた方々が多かったのは、自分が参加したことでそういった方々の目に触れ、「クィアイベント感」を押し出してしまった側面もあるように思い、責任を感じました。
正直私自身もパーティーカルチャーを応援してるとはいえ、カルチャーの中心と言える程にシーンを追えているわけではありません。リスペクトがあれど、むしろシーンの理解については遅れている方です。政治的な情報収集やフェミニストのロールモデルを目的に私をフォローしてる方は、ますますカルチャー自体の現場感覚や、どの人数の規模のイベントでどの程度の収益があり、現場で差別を起こさないために必要なコストがどれほどなのか、感覚がなかったと思います。
参加に際し葛藤があった方を傍目で見ながらも、SGO程度の安全さのレベルのイベントの開催数が増えた方が、「イベントシーンでの性暴力を減らす」目的に対しては、総合的に資すると考えていました。
そのために一件一件の完全さを諦めるのは力不足と言わざるを得ないですし、もし実際に私に「諦められた」と感じた方がいたら申し訳ないです。。しかしこれからも、「絶対に諦めない」と明言できる自信がないです。。。
最近フェミニストのアイコンとして扱われたり、いきなり他人からケアを求められたり、いつのまにか理想像を投影されたりのストレスが、正直限界に来ており。。。(急な愚痴。。。)私がめっちゃイケてるのは知ってましたが、そんなにイケてる人がフェミニストやってるの珍しいですかね。。。。。私への負担を分散させるためにこの世の全員フェミニスト名乗ってくれませんかね。。。。。。てか私人生の大半はホモソに迎合してモテて結婚しようとしてましたからね、憧れないでくださいね(n回目)。。。
私は力不足な状態で、マシな実践を積み重ねたい、というのが一番本心に近いです。
乳について
私は私の乳が嫌いだった
左右で大きさが1カップほども違い
毛がびっしり生えていた
色も汚かったしムラがあった
シミもあった
気持ち悪いと思って毛を抜いた部分だけ
皮膚が引っぱられて毛穴が白くなった
毛はまた生えてきた
乾燥すると皮が剥けた
醜いだけでなく
少し圧迫するだけで痛かったし
ストレスが溜まると締め付けられるように
苦しくなった
酒を飲んで血流が多くなると
ブラジャーの締め付けで息ができなかった
乳がん予備軍みたいなのは常にあったし
それは私の食事を健康的にした
健康的なものはおいしかったのでよかった
友だちのお母さんが
真似した
地元のイオンに売ってる
ヒラヒラのブラジャーは
かわいくなかった
醜い乳の上にジャキジャキした色の
レースのついたブラジャーが乗ってるのを
じっと見た
乳の皮膚に生えてる毛と
レースを見比べた
パソコン同好会とバレー部くらい
テンションに差があった
ステマで買ったナイトブラは
最高だった
寝る時は締め付けで痛くもなく
自重のひっぱりで痛くもなかった
ステマの誇大広告を信じてよかった
大きくなってからは
そんなに乳を憎く思わなかったけど
ボディポジティブではなかった
好きではなかった
ただ嫌いだと思うエネルギーがなかった
でもボディポジティブの人は
最高にcoolだと思った
恋愛が他人事になってからは
アイドルとかDIVAとかゲイクイーンとかの
かっこいい乳に憧れた
あらゆる胸筋へ
臆面なく上等なプロテインをあてがい
ふんだんにジムの器具を使い育てられた
エンパワメントの詰まった乳
アゲアゲなフェミニズムマインドに
視覚で結びついた乳
でもそれが自分のものになるとは
思わなかったし
自分に相応しいものと思えるほど
私に価値も金も運動の習慣もなかった
昨日読んだ小説で
私の乳は
何かを傷つけたことがないと知った
ただ醜く
時には致命的に痛み
命に栄養を与えるでもない
変な乳
私は脚で虫やザリガニを
踏み殺したことがある
手で包丁を持って
動物の死体の一部を
切ったことがある
浮気されてビンタしたことがある
目で侮蔑したことがある
口で相手をこてんぱんに
どこまで傷つけられるか実験するかのように
言葉を発したことがある
私のすべては無勉強な限り
他人や他の動物を踏みつける力を持っていて
未熟な限り実際に傷つける
傷つけた分は元に戻らないことを
知っている
私は私を傷つけたやつを許さないし
私にそう思ってる人もたくさんいる
それは正当だ
自分に
何も奪ってない
何も傷つけていない部位があると
知らなかった
自分が憎い
自分が共に生きなければいけない
身体そのものもとても憎い
あんたがあるから
生きなければいけない
命を奪って、食べて、排泄して、
体を洗い、自分の未熟さに怯え、
生きなければならない
小説の乳のくだりは
物語にとってそこまで重要じゃ
なかったかもしれないし
とても重要かもしれなかった
今生理前で
私の乳は先月と同じように
はっている
誰も傷つけてこなかった乳は
私の体に対する憎しみを
ちょっと緩和した
でも相変わらず憎かった
サバサバ女漫画の広告があまりにも出てくるので二次創作百合にしました
※本編読まずに広告だけ見た記憶で描いたので名前とか人間関係とかめちゃくちゃ
二次創作と言えるか? サバサバとキラキラ百合
ああ、またやっている。
居酒屋に入ってすぐ目に入ったのは、同部署のサバサバ先輩と、ひとりの男の姿だった。
私はキラキラ女。A社に派遣で入社し、最近正社員となる話が出た。ルックスは華やかかで、かつオフィスにふさわしい落ち着きもあり、若さを活かした飾り気のなさもある。髪の長さはセミロングで、コンサバティブなイヤリングをつけ、前髪は毎日コテでまとめている。都会で働く女性の標準像を描けと命令すれば、誰もが私の似顔絵を描くだろう。しかし私の容貌は、それなりに維持に労力が必要だ。「普通」への到達自体に困難を感じる人もいる。私の外見は、社会から求められる標準をこなす胆力が私にあることを、静かに物語っていた。
私はその能力を自負しながら、そうならない人間が大勢いることを知っている。そのひとりが、先輩のサバサバ女だった。
どうやらサバサバさんは、隣にいる男性に奢っているようだった。男性はサバサバさんを姐さんと呼んでいる。下心を向けられたと思い喜ばしいのか、財布から札を出しながら、サバサバさんの頬が赤く染まっていく。やばい。先輩のパーソナルなシーンを見てしまった。こんな覗き見は趣味が悪いのではないか。目線を横に移すと、男の顔には見覚えがあった。
「……うわっ」
Kだ。私と仲の良いFの同期のKだ、多分。Fから同期の愚痴を聞かされていた。散々、自分が女をいかにコントロールできるか、自慢話をするやつがいると。同じ会社の先輩もターゲットにしていると。
この世には、愚かな女を馬鹿にしたいやつがうじゃうじゃいる。思うより先に、怒りで体が動いていた。
「サバサバさん、こんばんは」
「キラキラさん!?なんでこんなとこに…」
「こんばんは。サバサバさんの後輩の、キラキラと申します。」
「あっはい」
「たまたまなんですけど、明日提出の資料の
ミスを見つけて。よければ今確認できませんか?」
「ハァ!?今!?」
サバサバさんが明らかにいらついた表情を見せる。焦るな、大丈夫。彼女は断らない。特に年下の後輩の前では、面子を気にするはず。
「お願いです、サバサバさん。今、サバサバさんしか頼りになる人がいないんです。」
ここまで言うと、サバサバさんが照れたような表情をした。そしてKを一瞥し、まあしゃーねーな、後輩に良いとこ見せるか!とでも言うかのように、目を輝かせた。
「ごめん!ちょっと席外すわ!」
バシバシとかなり痛そうにKを叩きながら、サバサバさんは立ち上がってくれた。その慣れた手つきは演技じみていて、こんな風にさりげなくボディータッチするから男が放っとかないのよね、と物語っていた。
Kから見えないであろう店の廊下に、ふたりで移動する。チッ、いいところだったのによ、とサバサバさんが小声で呟いたが、聞こえないフリをした。
「それでミスってなんなわけ?散々言ってるのに確認サボったの?」
「ミスなんてないですよ」
「は?」
「ミスなんてありません。私ほぼミスしないじゃないですか。あの席からサバサバさんを立たせたかったんです。」
サバサバさんはしばらく唖然としていたが、すぐに全ての真実を悟ったような表情で口を開いた。
「あんたまさか、私がモテてるの見て邪魔したの!?」
「はい邪魔しました」
「!?」
「あいつ知ってるんです。私の仲良い子と、あの男が同期で。サバサバさんのこと、影で良いカモだの、チョロいブスだの言ってます。」
「なっ…そんなわけ」
「信じるも信じないも自由ですけど。仲良いのってFですよ。彼女が嘘つくと思います?」
サバサバさんは焦りを隠せない表情となり、以下のようなモノローグが入った。
嘘?どういうこと?
だって私は100%
やれることを
やってきたわ…
男は私みたいな
サバサバ系が好きで…
私ってサバサバしてるから…
なんだかんだ
ぶりっ子は…
「…さん…」
「サバサバさん!」
私が大声を出すと、サバサバさんの焦点が定まった。
「大丈夫ですか?」
「…何よ」ぽろり
サバサバさんの目は潤んでいた。
「気にしないわよそんなの。たっく、口が悪いわよね。男ってやつは…そういうの、スルーできるのが、大人の…女…で…」
サバサバさんが俯く。
私は、完全に感極まった時の攻めの顔になっていた。間髪入れず、サバサバさんに向かって壁ドンをした。
「サバサバさん、こっちを見てください。」
「!」
サバサバさんは、わかりやすく受けの顔になった。
「私は、仕事能力も外見も、それなりに仕上げてきました。しかしこのとおり、能力がありながら派遣入社です。女が受ける理不尽を、そのとおりに味わってきてます。」
私の自己紹介の羅列に、サバサバさんはハ?私はあんたより学歴もあるし仕事もできるしむしろあんたの社員登用イラついてるんだが?外見もあんたみたいな派手系より自然体を活かした私みたいなナチュラルメイクの方が人気に決まってるし?とでも言いたげだ。私は半笑いした。
「サバサバさんは女として生きるために、男ウケ理論を独学で学び、その手段がサバサバだったんでしょう?私もです。周囲が一番ムカつかない女が、コンサバでキラキラのあざとい量産型快活女でした。たまたま履修過程が違っただけです。サバサバはいつしかあなたのキャッチフレーズとなり、広告で毎日のように表示されるようになった。バカにしやすい女をバカにしたい人間の、サンドバッグに選ばれたんです。たとえサバサバさんのサバサバっぷりがやりすぎで愚かしくても、私は決してあなたを笑いません。どう考えてもおかしいのは、サバサバさんをサバサバたらしめた社会ーー女にとってヘテロ男ウケが生存手段であるかのように呼びかけ、家父長制に依存させた社会ーーそして男ウケやモテを市場化した資本主義です。いいですか。あなたはチョロいブスではなく、まっすぐな、美しい人です。」
「ねえサバサバさん」
「一緒に私たちを比べる土俵をぶち壊しましょう。」